■アフィリエイトをやろうと思ったワケ
初めてのパソコンはMac
デザインの仕事をやりだしたのは両親の影響です。
私の両親はイベントや店舗のプロデュースを全体的にする企画デザイナーのような仕事をしており、小さいころから絵を書いたり、何かを作ったりすることが好きだった私は両親が忙しくしている様を見つつも好きなことを仕事にしている姿に憧れていたのでした。
私が中学生になる頃には初めてパソコンが家に導入されました。
Macでした。
Mac PowerBook100という機種で白黒画面のノート型のものでした。
両親はこれまで手作業だった写植という作業が自宅で簡単にできるということで大変重宝がっていましたが、私はファミコンの延長としかコンピュータを見ていなかった為、ゲームもできないこのパソコンはあまりおもしろいものではありませんでした。
しかし、このMacにマウスが取り付けられた時、それは一変しました。
『パソコンで絵がかける』ようになったのです。
マウスが取り付けられるまではキーボードの真ん中近くにトラックボールが付いていて、それでカーソルを動かすのですが、こんな自由の効かないデバイスでは絵を書くなんて絶対にできないことでした。
何の絵を描いていたかはあまり覚えていませんが、マンガの模写なんかをしていたと思います。白黒なので、色は網掛けのようなトーンで表現されており、マンガと表現方法が同じでした。難しい知識なく漫画家と同じような表現ができたことに喜びを感じていたのを覚えています。
そんなこんなで自己流にPhotoshopやIllustratorを使うようになり
実力の伴わないエセ・デザイナーが出来上がったのでした。
高校卒業を迎え進路を選ぶときには自動車のデザインができれば好きなことをやってお金がもらえるじゃないか!という理由でろくに絵やデザインの勉強もせずに芸大の工業デザイン科を受験し、不合格。
でも中途半端な器用さで環境デザイン科にはすべり止め合格。
環境デザイン科は私が全く興味のない造園や都市計画といった内容で、あまり授業にも参加せずなんとなくな大学生活を送っていました。
そんな大学生活の中で、私はバイクで事故を起こしてしまい、数日授業を欠席。
休学届も出さずに単位がとれず、留年決定。もういいやと大学を中退。
なんて親不孝者なんだ(;´Д`)
職業遍歴のようなもの
大学中退後はゲームデザイナーならパソコン使ってデザインができるぞ!
と考え、コナミが作ったクリエイター養成学校へ入学。
ここでやっと絵の基本について学びましたw
しかしながら当時ゲーム業界のデザイナーは競争が激しく高い技術力(画力)も必要であった為、あちこちゲーム会社への就職を試みましたがダメでした。
しばらくバイトをした後、私が就職出来たのは
エアロパーツ(クルマの改造用バンパー)メーカー
うーん、はじめ思っていたイメージと遠からず、近からず?w
まぁとにかくデザイナーになれて、Photoshopでガリガリ絵を描けたので機嫌よく仕事をしていたのですが、あることに気がついたんです。
給料が安い。
朝9時に出社して夜9時ぐらいに退社、遅い時で10時過ぎ
手取りは15万円くらい・・・
しかも先輩方の入れ替わりが非常に激しい。
こりゃロクな会社じゃないぞ
というわけで転職じゃあ!
と次に就職したのは同じ業界のクルマ用品メーカー。
ここでもデザインと広報の仕事をしていましたが先輩方の給料を聞いて愕然。
10年働いて手取り20万円くらい・・・
というわけで転職じゃあ!!
よし!本格的なデザインの仕事にしようと思って就職した先は広告代理店。
ここはこれまで以上に仕事が激しくて家に帰れない日が何度もありました。
しかも自己啓発とかにすごい力を入れる会社でプライベート時間全くなし。
体が持たんし、時間の割に給料が安い!!
24ジカンタタカエマスカ?
というわけで転職じゃあ!!!
と、ここで私は自己啓発を受けていたので新たな才能を発掘していたのでした。
俺、営業できるんじゃね??
で、私はやるなら基礎知識がある方が有利だろうと考えて一度辞めたクルマ用品メーカーの門を再びたたき、営業で雇ってもらうことに成功しました。
そしてなんと給料はデザイナー時代の倍近くの金額に!
営業成績も良く、ボーナスもそこそこもらっていました。
やっと、安心して暮らせる金額がもらえるようになった私は結婚し、あとは気楽なサラリーマン生活を・・・なんて考えていました。
でも現代の営業マンはIT技術により年々ブラックな職業になっています。
携帯電話は四六時中鳴り響き、休日も電話対応しておかないとライバル会社には勝てません。あまりにも一生懸命仕事をしすぎた私は子供に涙を見せられます。
子供といっしょに遊んでいる最中も仕事をしていたからです。
でも、それぐらいやらないとすぐに『デキない営業マン』になってしまうんです。
お金がもらえてもこれはイカンぞ
というわけで転職じゃあ!!!!
クルマ用品メーカーのライバル会社へ「給料は同金額でデザイナー希望。」という強気な条件を出したところ、ある程度業界で名前が通っていた私はなんと条件を通してしまいました。
これだけだとうまくいっている感じがしますよね?
しかし、この会社は経営がまずくて今にも倒産しそうです。(汗)
結局は自立しないとダメ
ここまでやって初めて雇われている限り自分の思い通りの生活はできない。
サラリーマンほど厳しくて不安定な仕事はないと気付きました。
実を言うと私の妻の実家は資産家で家賃収入で生計をたてています。
これも一見うらやましい状況ですが、バブル期に資産を大量消費したようで今は赤字経営になっています。
つまり、毎月すり減っていっている状況です。
そんな状況を打破すべく私は宅建試験にチャレンジし2年目で合格!
不動産屋さんを経営して黒字転換するぞ!と意気込んだのですが不動産屋の知り合いもおらず、結局起業には至れていません。
私は貯金をしてこなかったので元手ができるだけかけずに仕事を始めたいと考えていました。
そんな中目に飛び込んできたのはこの先需要が伸び続けるという『WEBコピーライティング』某有名出版のPPC広告ですねw
それを期に私はコピーライティング、DRMを勉強し、これまで全く本なんて読まなかったのに大量の読書をこなしたのでした。
で、どんな仕事ができるの?って冷静になった時
コンサルティング、コピーライターなんてハードル高すぎやろっ!?
そして、なんだか自分にはしっくり来なかったんです。
そこで登場したのが
アフィリエイトとの出会い
コピーライティングを使って商品を販売に至らせる!
いわばweb上の営業マン!!
これやー!!
これまでの経験と知識的意欲がマッチしてしっくりきました。
で、早速アチコチ情報をとりまくって
教材や詐欺っぽい話にもお金もつぎ込みつつアフィリエイトに挑みました!!
自己流でサーバー契約し、WORDPRESSにも挑戦しました!
が、いまだ稼げた報酬はない。0円(自己アフィリは数万円稼いだ)
アクセスも1桁で直帰率100%
やっぱり世間は厳しいなぁ~、自分で金稼ぐのってほんと難しいなぁ
webで何やら稼いでいた友人
そんな中、何をしていたかわからないがwebを利用してお金稼ぎをしていた友人を思い出しました。
私は彼に今の状況、取り組んでいる内容を話したところ、彼がやっていたことはアフィリエイトの下請け作業だったということを話してくれました。
やっと、やっと一筋の光が見えてきた気がしました。
今はゼロですがきっと近いうちに収益が発生すると確信出来ました。
一方的に自分のことを書いてしまいましたが
ここからの逆転劇を今後このブログで報告していきたいと思いますので
皆様どうか冷ややかな目で構いませんので見守ってください!